神様とサイコロ

 では、空界とはどのような世界なのでしょうか。空は「からっぽ」という意 味です。そして、空は決して無ではないのです。無とは虚無、何も存在しない ということを意味しております。それに対して、空とは人間の目から見ると何 もないからっぽの世界のように見えるけれども、よくわからないけれど何かあ るらしいということを意味しております。

ですから空界とは人間の感覚ではか らっぽの箱のような世界と認識されます。しかし、ほんとうの虚無ではありま せんから、そこには世界があり何らかの存在がおられるのです。

 色界はエネルギーの世界、波の世界であるということをお話ししましたが、 空界は物質はおろかエネルギーすらも関知されない世界なのです。そして、こ の空界こそが神様、仏様のお住まいであると古来から主張されてきました。

わたしたちは簡単に不死なる神々と言いますが、波であれば不死であるはずはあ りません。池に落とした石によって発生した波もまわりに広がっていくにつれ て弱くなり、最後には消えてしまいます。ですから色界の存在は決して不死で はないのです。しかし、空界の存在は波ではありませんから不老不死が可能と なるのでしょう。

 このように説明されても、やはり空界や神様、仏様については疑問が残りま す。物でもなくエネルギーの波でもなければいったい何なのでしょうか。もう 少し別の角度から検討する必要がありそうですね。例えばサイコロを考えてみ ましょう。サイコロは物ですし、サイコロを振る人間も物質であることには違 いはありません。

一方、サイコロを振るという動作の元は人間の腕から発生す る力ということになりましょう。そして、その力は人間が食物と呼吸によって 得られた酸素から作りだしたエネルギーによって生み出されました。

 さて、サイコロを1万回振ったとしましょう。すると、1から6までの目が 出る確率はほぼ1/6ずつになります。これが統計学の基本になっております。 では、10,001回目にはどの目が出るのでしょうか。もちろん確率はどの目も 1/6なのですが、どの目が出るのかはわかりませんよね。どうやらこのあた りに空界の秘密を解く鍵が隠されているようなのです。

つまり、われわれが偶 然と呼んでいる現象は科学的な言い方をすると、確率的な法則によって支配さ れている現象と呼べると思いますが、この法則なるものに神や仏はダイレクト にかかわっておられるらしいのです。

 たとえば、旧約聖書のサムエル記にサウルがユダヤの王様として選ばれる場 面があります。預言者サムエルは既に神様からサウルが王となることを聞かさ れていたのですが、各部族、各氏族ごとにくじを引かせて王となる人物を捜し ていきます。まず、ベニヤミン族が選ばれ、次にそのなかのマトリの氏族が選 びだされ、最後にサウルその人がくじに当たりました。このように、神様には われわれ人間が偶然と思っている現象をも制御することが可能なようなのです。

 全知全能の神という言葉がありますが、われわれが偶然と思っていることま で左右できるということはまさしく全知全能という言葉にふさわしのではない でしょうか。20世紀を代表する大物理学者であるアインシュタインは「神様 がサイコロを振るのはおかしい」と確率論的な量子物理学を批判しましたが、 サイコロを振っておられるのがまさしく神様かもしれないのです。


事典エイト - 新興宗教への警告 - 第6章 既存宗教の意味するもの