異常気象の先にあるもの

今年は台風の当たり年だ。すでに3個の台風が連続して本土に上陸しているし この前も強い台風が沖縄をかすめて台湾を直撃して24人の死者をだした。 7月には九州で大雨が降って大きな土砂崩れが起きて多くの人が亡くなった。 アメリカやヨーロッパでも洪水の被害が伝えられている。一方、北朝鮮では 2年続きの洪水の後で、今年は大干ばつのようだ。ペルーでは寒波で多くのアルパカ が死んだそうだ。

異常気象という言葉が使われるようになったのは10年以上前のことだ。 しかし、どの程度「異常」なのかは必ずしも明らかではない。「100年ぶりの 大雨」ということは100年に一度はその程度の大雨が降るということなのでは ないか。だとすると、それは本当に「異常気象」なのだろうか。

理科の時間で教わったように、地球上の気象というのはかなりドラスチックに 変化している。地質的な時代区分で言えば、現代は後氷期といって氷河期の後の 時代ということになっている。しかし、新生代に何度かあった氷河期の間の 間氷期には今よりももっと暖かで海水面が上昇していた時代もあった。ということは、 これからもっと暖かい時代が来るのだろうか。それとも、再び氷河期が来るのだろうか。

もっとも、異常気象の専門家の多くはここ数十年の環境破壊が異常気象の原因だと 主張している。東南アジアやアマゾンの熱帯雨林が木材の切り出しや耕地化によって 失われていく。アフリカの草原地帯が過放牧によって砂漠化していく。 エネルギーの使用量の増加による地球温暖化、オゾン層の破壊。これらの環境破壊が、 地球の生態系を狂わし、水の循環サイクルに変化を与える。それが、異常気象と なって、われわれの目の前に現れるというわけだ。

異常気象の原因が環境破壊であるにしろ、地球気象の自然なサイクルの一環であるに しろ、異常気象がわれわれの生活に影響を与えることは確かだ。コンビニでは 次の日の気温を一度単位で予想して、その天気予報に応じて商品の仕入れと配送を 調節している時代である。「100年ぶりの」ということは、現代のわれわれの ライフスタイルが確立してから初めての経験ということを意味している。より複雑化、 効率化している現代において、初めて遭遇するできごとにうまく対処できるで あろうか。

北朝鮮の干ばつのテレビ映像を見ると確かにトウモロコシは背が低く、ほとんど実が 入っていない。しかし、トウモロコシ畑のまわりは青々と草が茂っており、 貯水池の水も20%くらいはまだ残っているように見える。東京などで夏場に水不足に なるときは、もっと大規模なダムの貯水率が10%未満になることもあるが、干ばつで 米の収穫がほぼゼロになったという話は聞かない。じつは日本では各地に農業用のため池 などが完備されているし、農業用水専用のダムもあって、かなり干ばつに耐えることが できるようになっている。

それに対して北朝鮮では一昨年、昨年の洪水といい、治水、利水のシステムが完備されて いないのであろう。それで、すこしの大雨や干ばつで、非常に大きな農業被害がでている のではないか。今後、地球の気象がどのように推移するのか定かではないが、「100年に 一度の異常気象」は1世紀に1回くらいはやってくるのであり、それに対する備えがどれだけ できているかで、それぞれの国や政権の未来が決まってしまう。

たとえば、現状を見れば北朝鮮の現政権の限界は明らかだ。穏やかな政権交代か、自爆的 崩壊を起こすのか予断を許さないが、3年続けての農業の不振は致命的だ。旧ソ連も、 結局は1970年代から1980年代にかけての農業の不振が命取りになった。 それに引き換え、アメリカや日本は異常気象が叫ばれる中、大半の年は豊作を維持している。 このあたりを目安にすれば、おのずと今後の世界情勢が見えてくるのではなかろか。


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