文明と災害

阪神大震災から1年がたった。改めて、犠牲者の方々の冥福をお祈りしたい。

さて、6千人以上の死者を出した阪神大震災から1年たって、神戸やその他の 大きな被害を受けた町も次第に復興のペースが速くなってきた。すでに、 鉄道は全ての路線で復旧し、道路も阪神高速の一部を残すだけである。 もちろん、多くの人たちが仮設住宅に暮らし、取り壊し作業すら未定の住宅も 数多く残されている。被害にあわれた方、それぞれに経済的、精神的な傷は 大きく、それが完全に癒されるのには長い年月が必要なのであろう。

それにもかかわらず、日本経済は徐々に明るさを取り戻しつつある。おそらくは、 平成8年度の経済成長も先進国中最低となるのだろうが、自民党の橋本氏が総理 大臣に就任し、住専の処理にも少しずつ見通しが見えてきた。阪神地区の企業も、 中小企業はまだまだであるが、予想に反してダイエー、神戸製鋼などの大企業は 業績を伸ばしている。また、最近のインターネットブーム、Windows95ブームに よって情報関連機器の売れ行きが好調だ。日本という国全体としては、阪神大震災 の影響を克服しつつあるかに見える。

ところで、世界史を紐解くといくつかの大きな天変地異が記録されている。 イタリアへ行かれた方にはおなじみのポンペイの遺跡はベスビオス火山からの 噴出物で埋められてしまった。建物も人もそのままの形で残っていることから、 災害の大きさがわかる。時はローマ共和国がイタリア半島全体に支配を伸ばして いった頃にあたる。ローマ共和国としてもこの災害によって大きな打撃を受けたはず だが、その後、ローマはカルタゴとの3次にわたるポエニ戦争を勝ち抜き、 地中海全域へと支配を拡大していった。

一方、ギリシャ文明の祖と言われるクレタ文明ではどうだったのだろうか。 クレタ島には古くから船をあやつる海洋民族が住み着き、エジプト、シリア、 ギリシャ、シチリアなどの各地との交易を一手に握って、クレタ文明と 言われる高度な文明を築き上げた。今に残る遺跡から推測すると、彼らは 交易を中心とした平和的な民族で、神権政治的な国家体制も既に確立していた らしい。しかし、クレタ文明は紀元前1450年頃、急に衰退し、歴史から消え去る。

クレタ文明衰退の原因は何か? この多くの考古学者を悩ませていた問題も最近に なって原因がわかってきた。クレタ島近くのテラ島の火山の大噴火により山体が 海に崩壊し、その時に生じた大地震と大津波によってクレタ島は大打撃を受けたらしいのだ。 津波の高さは100mにも達したようで、クレタ島自慢の交易船や神殿は完膚なきまでに 破壊されたらしい。この後、ギリシャからミケーネ人たちがクレタ島に侵入して、 独自の神殿を建築したようだが、彼らもその後に起こった大地震によって神殿を 破壊され、撤退したらしい。 このあまりにも大きな痛手によって、クレタ文明が終焉を迎えた だけではなく、クレタ文明が担っていた地中海沿岸諸国間の交易活動もほとんど 行われなくなった。そして、その後、エジプト、メソポタミア、パレスチナ、 ギリシャなどの諸国は独自の文化を発展させていくのである。

ローマ共和国とクレタ文明のこの違いは何によるのであろうか。ひとつ考えられる のは文明の成熟度の違いであろう。ローマはポンペイの惨禍が起きたときは、まだ 発展途上の若い国であった。一方、クレタ文明は紀元前1820年頃と1750年頃、さらに 1700年頃に起きた大地震によってそのつど神殿が破壊されたようだが、その後、 最盛期を迎えていた。しかし、テラ島の大噴火が起きた時は既に文明は衰退を 始めていた。

もうひとつの違いはポンペイはローマの1都市にすぎなかったが、クレタ島は クレタ文明の首都であり、ここを直撃されたことが致命的な打撃となったと 想像されることだ。そして、クレタ文明にはクレタ島以外に文明の中心となりうる 都市を持ってはいなかった。

一極集中の中央集権方式は政治、行政の両面で効率的なのは明らかだ。しかし、 その首都が大災害による大きな被害を受けた場合、その国にとって致命傷となり やすい。大正デモクラシーを謳歌していた日本は、関東大震災によって大きな 痛手を受け、その後、中国大陸への侵略をはじめていった。そして、その先に 悲惨な太平洋戦争が待っていたのである。

東京は災害を受けやすい都市だ。関東大震災級の地震が起こる可能性はいつの 時代にもあるし、風向き次第では浅間山や富士山の噴火時の火山灰が降り積もる ことは、関東ローム層という地層が続いていることからもわかる。また、忘れられ がちであるが、台風による洪水や高潮の危険性も高い。

だから、首都移転をすべきだというのではない。田畑しかない土地に新しく 首都を建設するとなると膨大な経費がかかる。今の日本にそれだけの余裕はない。 大手ゼネコンの宣伝活動に対する努力は涙ぐましいものがあるが、無理なものは 無理なのだ。しかし、一極集中は極力避けるべきである。

そうなると、大阪や名古屋への投資を増やして、首都機能の分散化をはかる のが最善の策だろう。これだけ通信技術と 輸送技術が進歩した現在、何でもかんでも首都圏になければならない必然性は ない。いざという時には、東京の代わりができるように前々から準備をして おかなければならない。もちろん、阪神大震災でわかるように大阪や名古屋も 決して安全な町ではない。だから、大阪や名古屋のバックアップとして、 札幌、山形、仙台、新潟、長野、広島、徳島、博多、熊本などの地方中核都市を 育成していくことも重要なことだ。


Click Here! terumi-2

事典エイト

今月の国際情勢